- 大阪を中心に全国展開している「加寿屋(KASUYA)」は、
- かすうどんの専門店としてその名を知られるようになりました。
- 「株式会社グローバルキッチン」は、
- KASUYAの運営をはじめ、加盟店への商品提供や
- 店舗運営のコンサルタント業務、
- さらには食肉の輸入販売や食品加工など、
- 幅広い事業を行っております。
基本理念に基づき、 様々な取り組みを行っております。 利益ではなく、 お客様との長期的な信頼関係を 築くことが最優先。 主要事業の食肉販売や 店舗運営だけにとらわれることなく、 営業やコンサルティングなど、 すべての業務において プロフェッショナルであることを目指し、 常に新しい知識を学び続けています。 世界中の人々の台所となれるよう、 常に広い視野を持って 物事を捉えていきます。
1995
1995年4月、1軒の屋台から
KASUYAの歴史は始まりました。
オーナーは洋食出身でしたが、大阪の家庭や屠畜場近くの店で楽しまれていた「かすうどん」に目を付け、販売を始めます。日本各地のうどん出汁を参考にあぶらかすに合う味わいを追求し、オリジナルの出汁とタレを開発。
弟子を取るつもりはなかったものの、頼み込まれた2人にかすうどんを教えることになり、屋台から藤井寺の店舗に移行しました。
1999
弟子2人を独り立ちさせて、
店を持たせてやりたい。
しかし、店舗を増やすためには
さらに多くのあぶらかすを
確保する必要がありました。
藤井寺の店で消費する
あぶらかすは月に300キロ。
牛一頭から取れる小腸は約10キロで、
全てをあぶらかすに加工しても
得られるのは2.5キロに過ぎません。
大阪の屠畜場でも
当時は1日100頭程度しか
処理されておらず、
ホルモン人気もあり、
4か所から集めても
十分に確保するのは困難でした。
そこでオーナーは店を弟子に任せ、
1999年から2001年まで
単身で海外に赴き、
あぶらかすを求めて奔走します。
最初に訪れたオーストラリアではホルモンを扱う文化がなく断念。次のアメリカでもあぶらかすが理解されず、年商1億円にも満たない小さい会社だからと門前払いが続きました。
唯一商談に辿り着けた企業でも、あぶらかすが理解されることはありませんでした。そんな中、偶然通りかかった商談先の副社長から「よくわからないから、作ってみてくれないか」との要望が。
オフィスのキッチンで、普通のコンソメスープとあぶらかす入りのコンソメスープを作り試飲してもらったところ、「これはうまい!」と評価され、ついにアメリカでのあぶらかす製造ライン立ち上げへと繋がりました。
アメリカで第一弾のあぶらかすが完成し、日本への出荷を目前に控えていた矢先、BSE(牛海綿状脳症)が発生し、約20トンのあぶらかすは廃棄処分に。
これまで投じてきた資金も底を突き、事業は危機的な状況に陥りました。
そんな時、知り合いから連絡が入り、「白物(ホルモンのこと)詳しいだろう、手伝ってくれたら食材を回すよ」と、新たなチャンスが舞い込んできました。
アメリカからの輸出停止で多くの業者が困っていた中、オーストラリアでもホルモンの取り扱いが始まり、これが新たなビジネスチャンスへと繋がったのです。
あぶらかすの製造工程で一番難しいのは、
やわらかい小腸を均等にカットすることです。
専用機器がない中で手作業に頼らざるを得ない状況でしたが、自らプラントに入り、作業員にカットの仕方や道具の使い方を指導。新たな道具を開発して試してもらうなど、尽力しました。
その結果、「会社の代表がこんなにも手をかけてくれるなんて」と感動され、現地の作業者の信頼を集めることができたのです。
2024
最初は20トン単位のあぶらかすをどう捌くかを模索する日々で、
店が増えるまではあぶらかすそのものを販売することもありました。
しかし、その後は順調に店舗展開が進み、
全国規模でかすうどんをご提供する店へと成長を遂げました。
現在は日本国内であぶらかすを調理加工し、
その魅力的な味をKASUYAは作り続けています。
あぶらかすやかすうどんなど、個人のお客様にも楽しんでいただける個包装商品をはじめ、法人様向けに自社工場で加工したあぶらかすや煮込み料理を販売しています。
特にあぶらかすはどんな料理とも相性が良く、トッピングするだけで牛肉の豊かな旨味が堪能できる当社の自信作です。
ぜひ幅広い用途でご活用ください。